1934年9月、京都市の四条木屋町を下ったところにある町家を改装し、フランソア喫茶室は開業しました。

戦時下にあったこの頃、人々は言論を制限され、不自由な環境に置かれていました。そんな時代にフランソア喫茶室は、誰もが平和や未来、文学、芸術について語り合える「文化と自由のオアシス」のような場所でした。

人々が集い、豪華客船を思わせる室内でコーヒーを飲み、蓄音機から流れるクラシック音楽と絵画の世界に浸りながら、豊かなひとときを楽しみました。当時と変わらない姿、それは今も守り継がれています。

 

 


フランソア喫茶室の創業者である立野正一(たてのしょういち/1908年生まれ)は画家を志していましたが、尊敬する先輩の影響を受け、美術学校を退学して労働運動に関わり、活動家の自活と社会主義啓発を目的として1934年に喫茶店を開店。その翌年、のちに妻となる佐藤留志子(さとうるしこ/1919年生まれ)がスタッフの1人として加わりました。

当時のフランソアの制服を着た留志子(左)

フランソアには当時の反戦雑誌でタブロイド版の『土曜日』も置かれていました。ナチスドイツ占領下のフランス人民戦線が刊行していた『ヴァンドルディ(金曜日)』をもじって1936年に発刊され、世界の政治や社会動向、映画、文学、美術批評、京都で働く人々の記事などが幅広く掲載されていました。また、寄稿者の多くがフランソアの常連でした。この『土曜日』を楽しみに訪れる人々もたくさんいました。

1941年、店の北側の町家を買い取って本格的な改装を施しました。イタリアの豪華客船の内装をイメージした設えは、現在までほぼ変わっていません。

第二次世界大戦時、京都は空襲こそ免れましたが、人々は衣食の欠乏の極限を体験しました。学徒動員で、フランソアに通っていた学生たちも戦地へ赴きました。コーヒーや砂糖などが手に入りにくくなり、敵性語の禁圧から店名を「都茶房」に替え「自由の砦」を守り続けました。

1947年、営業を再開し同時に南側の旧店舗に「ミレー書房」を開き、一般には入手困難だった洋書や思想・哲学書を販売しました。1950年には書店部門の担当者が独立して「三月書房」を創業し、南側店舗も喫茶室へと改装されました。

「純喫茶・都茶房」と改名し営業していた戦時中のフランソア


現在のインテリアは、1941年に大規模な改装を行った時のデザインを、ほぼそのまま守り続けています。豪華客船のホールを思わせるイタリアン・バロックを基調とした装飾が施され、ステンドグラスが漆喰の白壁に彩りを添えています。

この設計デザインを手掛けたのは、当時の京都大学に留学していたイタリア人アレッサンドロ・ベンチベニ、画家 高木四郎らの芸術仲間でした。高木四郎の友人であるアメリカ人ドナルド・キーンが1953年に京都大学に留学していた時、2人はフランソアで待ち合わせをしていたというエピソードもあります。

木屋町通りに面した淡いグレーの外壁には当時から2つの尖塔アーチ状のステンドグラス窓があります。ステンドグラスは画家であった高木四郎の作です。レジカウンターの奥にはかつて大型の蓄音器が大量のレコードと共に置かれていました。店内中央部のドーム状の天井は、まさに客船のホールを連想させます。

2003年、フランソアは喫茶店としては初めて国の登録有形文化財に指定されました。

フランソアは開業当初から本格的な名曲喫茶を目指し、電気蓄音機とクラシック音楽の新譜レコードを買い揃え、営業時間中の曲目を立野自ら表に掲示していたほど音楽を大切にしていました。個人が音楽端末を持っている現在とは異なり、一般的な家庭に音楽を聴ける環境がなく、国内にクラシック音楽のコンサートも楽団もほとんどなかった時代に、フランソアへ来れば美しい調べに好きなだけ浸ることができました。レコードの選曲は、立野の友人の声楽家・作曲家である関忠亮が担当しました。ベートーヴェンの曲が最も多く、他にモーツァルト、シューベルト、バッハなど多くの作曲家の名曲がラインナップされています。

関忠亮が記入したと思われるレコードのリスト

【関忠亮のリストに書かれていた主要な曲目】
ベートーヴェン/交響曲第3番・第5〜第9番、ピアノ協奏曲第2・第4・第5番、弦楽四重奏、ピアノソナタ、ヴァイオリンソナタなど
モーツァルト/交響曲、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲など
シューベルト/交響曲第8番
バッハ/ブランデンブルク協奏曲
ブラームス/弦楽四重奏、ベルリオーズの劇的物語「ファウストの劫罰」
ハイドン/チェロ協奏曲
ヘンデル/メサイア
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲
シューマン/歌曲集
チャイコフスキー/交響曲第6番、ピアノ協奏曲第1番、弦楽四重奏
ドビュッシー/交響詩『海』、管弦楽のための映像
ストラヴィンスキー/ヴァイオリン協奏曲
ラヴェル/弦楽四重奏   他

創業当時のフランソアには名画の複製の数々が飾られていました。これらは画家を志していた創業者 立野が、好きな絵を買い集めたものです。店名の由来にもなっているフランソア・ミレーの「種まく人」「落穂拾い」を筆頭に、ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」、「最後の晩餐」のキリストの下絵、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」、ボッティチェッリの「春」「ヴィーナスの誕生」などでした。店内奥の右の壁にあるパリの市街図は創業時からずっと掲げられており、現在も創業者立野が収集した絵画が空間を彩っています。

タブロイド誌『土曜日』の挿絵を描いた画家 伊谷賢蔵が、初めてパリを訪れた際にフランソアのために描いてくれた「セーヌ河畔」

創業時からある戦前のパリの市街図

フランソアには昔から作家や画家、陶芸家、映画・演劇関係者、大学の教授など多くの文化人や学生が集いました。小説などの文学作品に描かれ、映画に登場したこともあります。(瀬戸内晴美作「家族物語」/1987年に京都新聞で連載、吉村公三郎著「京の裏路地」/岩波書店など)学生時代から何十年もの長きに渡り通ってくださる方も少なくありません。「ここに来ると青春時代にタイムスリップしたようだ。」とのお言葉をいただきます。また、昭和を知らない世代の方たちにも時を経ても変わらぬ空間をお楽しみいただきたく、「思想や芸術を自由に語り合える場所にしたかった」という創業者 立野の理念と共にこれからもこの場所を大切にしていきたいと考えています。